沖縄本島中南部の戦跡
 
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沖縄戦では県民の実に4分の1の方が亡くなり、日本兵も10万人近くが亡くなっている。民間人を巻き込んだ最悪の地上戦が行われたのだから、当然沖縄本島各地に戦跡が残っている。しかし、戦跡のほとんどは説明書きがなく、保存されているものも少ない。沖縄の方にとっては、あまりに惨い戦争だったのだから、保存しようとは思わないのも当然である。
戦跡によっては危険なところも多く、心理的負担も大きいところもあるので、慎重に見学していただきたい。
 
 

      うるま市

平敷屋の製糖工場跡

  

      読谷村

掩体壕

忠魂碑

アブトゥガマのトーチカ

 

  

中城村

161.8高地陣地

津覇之寺のトーチカ

 

 

             

宜野湾市

嘉数高地のトーチカ

嘉数高地の日本軍陣地壕

嘉数高地の銃痕のある壁

比屋良川火炎放射器掃射跡

テラガマ

嘉数病院壕

チヂフチャーガマ

 

             

西原町

一トン爆弾弾頭

西原村役場壕跡

小波津の日本軍陣地壕

小波津家の弾痕跡

九六式十五糎榴弾砲

内間御殿の戦跡

西原の塔

 

 

浦添市

前田の陣地壕群

浦添城陣地壕

ディークガマ

クチグワーガマ

             

那覇市

第32軍司令部壕

第32軍無線通信所跡

沖縄師範学校跡

沖縄戦で焼けたアカギの樹

首里城のトーチカ跡

識名壕

識名宮の壕

県庁壕

旧中城御殿石牆の弾痕

シュガーローフ

 

 

 

 

                                 

南風原町

M4中戦車・各種砲弾

銃痕のある塀

ナゲーラ壕

南風原壕群20号

 

南城市

吉岡隊陣地壕

八九式十五糎加農砲

 

 

             

八重原町

宜次の製糖工場跡煙突

クラシンウジョウ

 

 

             

糸満市

潮平権現壕

山巓毛の戦跡

伊原第三外科壕

第32軍司令部終焉の地

 


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*戦跡におすすめ度などつけるなどおこがましいこと限りないが、戦跡の保存状態により著者の独断と偏見で5段階(最低1〜最高5)評価を行った。評価点は、著者の趣味と独断で点数をつけたので、あくまでも参考程度にしてほしい。
 
沖縄の街中に残る弾痕をまとめたので、どうぞ。
 
 
おすすめ度5
 
161.8高地陣地 中城村北上原…丘の頂上にトーチカ(監視塔?)が築かれており、その下には壕が残っている。保存状態も良くトーチカ内部や壕内にも自由に入ることができる。
 
首里城内の戦跡 那覇市首里
 
 ⇒ 第32軍司令部壕…守礼門直下に壕口が数カ所残っている。中を除くことはできるが、入れないのが残念。
 
 ⇒ トーチカ跡…道路工事により一部が破壊されているが原型をとどめている。誰も気づかないマイナーな戦跡。
 
 ⇒ 沖縄戦で焼けたアカギの樹…首里城の園比屋武御嶽石門のとなりに立つアカギ(アコウ)の樹。アカギは戦火で焼け、そこにアコウが絡み付いている。
 
 ⇒ 沖縄師範学校跡…石碑と門柱が立つ。門柱には被弾跡が残っている。
 
特攻艇秘匿壕 読谷村古堅…米軍が上陸した海岸にある、特攻艇を格納するための壕。いまでも複数の壕の中に入ることができる。
 
嘉数高台公園の戦跡 宜野湾市嘉数
 
 ⇒ トーチカ…激戦地であった嘉数高地を象徴するトーチカ。保存状態は良く、中に入ることもできる。
 
 ⇒ 京都の塔・嘉数の塔・島根県人慰霊碑…嘉数高台公園内にある慰霊塔。慰霊塔には詳細な来歴が書いてあり、それぞれ見ごたえがある。
 
 ⇒ 銃痕のある壁…嘉数集落にあった壁を移築したものが展示されている。綺麗に整備されているが故に臨場感がないのが残念。
 
 ⇒ 日本軍陣地壕…嘉数高台公園の一角にある壕。中には入れない。
 
 ⇒ 歩兵第272大隊慰霊碑・球14212下田部隊慰霊碑…嘉数高台公園から少し離れた樹林下にひっそりと碑が立っている。訪れる人も少ない慰霊碑。
 
小波津家の弾痕跡 西原町小波津…弾痕のある塀は多く残っているが、日本軍の宿舎となった小波津家の塀の弾痕跡は凄まじい。一見の価値がある。
 
前田高地の戦跡 浦添市前田
 
 浦添城陣地壕…浦添城の石垣の前に、旧日本軍壕の入口が残っている。フェンスがあり、中に入ることはできない。
 
 ⇒ディークガマ…浦添城址の中にある御嶽。戦時中は住民の避難壕として使われた。中に入ることはできないが中を覗くことができる。
  
 ⇒クチグワーガマ…仲間集落の住民が避難していた壕。入口はふさがれている。多数の住民がここで亡くなったという。 
 
 ⇒前田高地平和之碑…霊園の奥、ガジュマルの木の下に大きな碑が立っている。志村大隊の戦没者の慰霊碑で、900名も戦死者の中が刻まれている。今では静かで良いところだ。
 
ひめゆりの塔 糸満市米須…沖縄で最も有名な戦跡かも知れないが、今でも当時の壕が残っており、心揺さぶるものがある。
 
 
おすすめ度4
 
糸数壕(アブチラガマ) 南城市糸数…ここも有名な壕だが、初めて壕に入るなら、安全なここをお勧めする。
 
一トン爆弾弾頭 西原町棚原…棚原グスク頂上部に弾頭が落ちている。これだけ大きな爆弾が落ちているのは沖縄でも珍しい。
 
旧中城御殿石牆の弾痕 那覇市首里当蔵町…セメントで埋めてあるが無数の弾痕がある。これほど掃射された壁は沖縄でも少ないだろう。
 
小波津の日本軍陣地壕 西原町小波津…車道からすぐのところに、陣地壕が当時のまま残っており、壕内に入ることができる。
 
潮平権現壕 糸満市潮平潮平の住民約560名が約3カ月にわたり壕の中で生活し、昭和20年6月14日に、全員無事で米軍に投降した。今でも壕内には当時の生活品が残っている。
 
識名壕 那覇市識名…識名の住宅地の民家の下にある野戦病院分壕。中に入ることができる。
 
白梅学徒看護隊之壕
 
第32軍司令部終焉の地 糸満市摩文仁…平和祈念公園内の高台に位置する。牛島司令官と長参謀長自決の地。中には入れない。
 
チヂフチャーガマ 宜野湾市嘉数…牧港川沿いの住宅地内にある非常に大きな壕。骨壺や生活の跡が多く残っている。内部には簡単に入れる。
 
津覇之寺トーチカ跡 中城村津覇…六角形のトーチカが寺の片隅に残されている。砲弾の跡もなく、70年前に作られたとは思えないほど綺麗である。
 
西原の塔 西原町翁長…西原町は住民の47%が亡くなった地であり、その全住民の名が刻まれた碑など、様々な慰霊碑が集まっている大規模な慰霊塔である。
 
屋良川の火炎放射器掃射の跡 宜野湾市嘉数…大抵の川沿いには掃射の痕跡が多数あるが、中でも痕跡が多いのは嘉数高地前の比屋良川と前田高地前の牧港川である。
 
 
おすすめ度3
 
一中健児之塔 那覇市首里金城町…旧沖縄県立第一中学校の犠牲になった生徒、教員200名余りを悼む慰霊塔。非常に綺麗に整備され、広く静寂な雰囲気が胸を打つ。
 
海軍慰霊之塔 豊見城市…海軍司令壕の上に立つ慰霊碑。野村吉三郎大将の筆で慰霊塔の文字が記されている。周囲は今では眺めの良い公園になっている。
 
県庁壕 那覇市識名…識名霊園の中に壕が残っているが、県庁に鍵を借りないと中には入れない。入口には島田知事の電報が貼ってある。
 
西原村役場壕跡 西原町翁長…戦時中、役場の重要書類を保管していたという立派な壕。立派な看板もあり、内部も覗くことができるが、中に入ることはできない。
 
平和祈念公園 糸満市摩文仁…20万人以上もの死者の名が刻まれた平和の礎は圧巻である。礎の脇に立つ資料館は展示内容が偏っているが、それは日本軍より米軍にお世話になったという沖縄の人の実感とも思われ、複雑な気分になる。
 
牧港テラブのガマ 浦添市牧港
 
 
おすすめ度2
 
嘉数病院壕 宜野湾市嘉数…330号線沿いに残る病院壕。国道により破壊されたが、国道から中を除くことができる。
 
テラガマ 宜野湾市嘉数…嘉数病院壕の国道330号を挟んだ向かいにあるガマ。戦時中は嘉数住民が避難していた。病院壕とつながっていたらしい。
 
我如古慰霊之塔 宜野湾市我如古…沖縄戦での我如古集落における戦死者の慰霊塔。綺麗に整備され、御嶽もある。
 
第三中隊終焉之地 浦添市伊祖…伊祖グスクの裏側のわかりにくい場所に碑が立っている。壮烈な文章で、玉砕した部隊の遍歴が書いてある。
 
 
 
おすすめ度1
  
砲弾で欠けた壁(崎山) 那覇市崎山…砲弾でぼろぼろになった塀が未だに残っているが、新居を建築するようで、無くなってしまうのだろう。
 
62師団野戦病院本部壕(ナゲーラ壕)
 
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