シュガーローフ 那覇市安里
 
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【場所】
国道330号線、おもろまち駅前交差点をサンエーメインプレイス方面に曲がってすぐの左側の丘である。
 
【駐車場】
シュガーローフ専用の駐車場はないので、サンエーメインプレイスなどに停めることになる。
 
【沖縄戦での戦闘】
1945年(昭和20年)5月12日から18日にかけて行われた。守備隊の独立混成第44旅団配下の部隊が、進撃してきたアメリカ第6海兵師団と激戦を繰り広げた。日本軍は、シュガーローフ、ホースシュー、ハーフムーンとアメリカ軍が呼んだ3つの丘からなる連携した巧みな防御陣地を構築し、アメリカ海兵隊を撃退しつづけ、シュガーローフの丘は戦闘が行われた1週間で11回も持ち主を変えた。この戦いで海兵隊側は、2,662名の戦死傷者と、1,289名の戦闘疲労患者を出したとされる。日本軍の死者は数千人と言われる。この小さな丘だけで5千人もの死者が出たと言われている。
 
【感想】
沖縄戦の激戦地であるシュガーローフも、今ではその形跡を全く留めていない。他の激戦地である嘉数、前田、西原、首里などは今でも痕跡があり激戦をしのぶことができるが、新都心にあるシュガーローフは何も痕跡が残っていない。発展した新都心の街並みを見ると、大激戦地で多くの兵士が死亡した土地であることが信じ難い。そんな多くの血が流された土地の上に、平気で住んでいるというのも、改めて考えると違和感がある。
 
 
シュガーローフには、貯水タンクが作られている。
 
 
 
丘に登る階段。こんな小さな丘を巡って幾多もの血が流されたとは、と思わずにはいられない。
 
 
 
丘の上は貯水タンクの周りに遊歩道がある。周辺には高層マンションが続々と建てられている。 
 
 
 
激戦地であることを示すのは、わずかにこの案内板だけである。
 
 
 
首里城方面を見ると、司令部のあった首里城がはっきりと見える。日本軍、米軍ともに死力を尽くしてこの丘を争奪した理由が良くわかる。
 
 
 
眼下には新都心の発展した街並みが見える。
 
 
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