忠魂碑 読谷村座喜味
 
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【場所】
沖縄県中頭郡読谷村座喜味2944の前。読谷村総合福祉センターのすぐ北の道を東に向かうと、読谷体育センターのグラウンド裏の十字路脇に忠魂碑が建っている。すぐ近くには掩体壕がある。
 
【駐車場】
忠魂碑前にも車が停められるくらいのスペースがあるが、お勧めはしない。読谷村総合福祉センターの駐車場から100mほどなので、そちらに置く方が良いだろう。
 
【沖縄戦での戦闘】
説明版には以下のように書かれている。
 
「忠魂碑は読谷山国民学校(読谷山尋常高等小学校)敷地内に1935年(昭和10)10月頃に建立されました。
 
その後、1978年(昭和53)に同敷地に読谷村運動広場が建設されるのに伴い、現在の場所に移されました。
 
忠魂碑は当時、天皇と国家のために死んだ軍人や軍属の忠義の魂を顕彰するためのもので、国民全員に同じ忠誠をたたき込むことに利用され、その結果、多くの若者が死地に追いやられたあげく、敗戦の憂き目にも遭いました。
 
現在、碑文は何者かによって削られ、説明版も持ち去られており、わずかに揮毫者の陸軍大将鈴木壮六の名前が見えるだけです。
 
忠魂碑は日本の侵略戦争を美化する象徴として使われ、日本の歴史の負の遺産ですが、戦時中の風潮を今に伝える証人であり、今後の戒めとして村では2009年(平成21)1月に史跡を指定しました。」
 
【感想】
削られた碑文が沖縄県民の心情を表しているように思う。しかしそのような忠魂碑も保存しているところに度量の大きさを感じる。砲弾型の碑、被弾した痕、そして削られた碑文と、沖縄の昭和史を凝縮したような戦跡で、一見の価値がある。
 
 
 
グラウンドのネット裏の狭いスペースに忠魂碑が建っている。碑の形は砲弾型であり、慰霊碑とは明かに異なる。
 
 
 
 
碑文が削られている。
 
 
 
 碑の一部は被弾により欠けている。
 
 
 
 
碑の脇に説明版が建っている。
 
 
 
 
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