西原村役場壕跡 西原町翁長
 
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【場所】
県道38号翁長交差点から幸地方面に200mほどで西原の塔があり、そこからすぐの三叉路に役場壕跡がある。
 
【駐車場】
西原の塔に駐車場がある。
 
【沖縄戦での戦闘】
壕前にある看板には以下のように書かれている。
 
旧西原村役場壕の沿革
 
1941年の太平洋戦争勃発後、日本軍の戦況が悪化してくると、大本営は沖縄に第32軍を配備し、西原村でも西原国民学校などに1200名余が駐屯しました。
 
戦況がますます激しくなった1944年6月頃、西原村役場でも地元住民から人夫を雇って役場壕を掘り、戸籍簿・土地台帳などの重要書類や、公金・公印、出納簿、戦時債券などを重さ1トンほどもある壕内の金庫に収納していました。
 
役場の事務は、米軍の本島上陸直前まで行われ、毎朝出勤すると役場壕から書類を持ち出して事務を行い、夕方再び書類を壕内に運んで保管していました。
 
戦後、壕はそのまま放置され、1980年頃、土建業者が道路に面した部分をえぐってしまった為に主壕の壁が壊され開口してしまいました。本来の入口は北東に向かった二カ所です。今日、戦争の歴史的教訓が年々風化するなか、太平洋戦争の悲惨さを物語る、本町での数少ない戦争遺跡の一つとなっています。
 
平成12年3月
 
【感想】
西原の塔とともに、きれいに整備されており、西原町として戦争の事実を後世に伝えようという熱意が伝わってくる。
 
 
 壕跡の現在の入口と碑。整備されているが、この入口は破壊して開いたもので本来の入口は、この壕の右奥に2カ所ある。
 
 
 
 壕内はかなり広い。
 
 
 
本来の入口は低く、かがまないと入れなかっただろう。
 
 
 
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