チヂフチャーガマ 宜野湾市嘉数
 
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【場所】
国道330号線を那覇方面から来て、伊祖トンネルをくぐり、橋を渡るとすぐに、チヂフチャーガマと書かれた案内板があるので、それに従い左折する。
 
【駐車場】
ガマの前に少しだけ路上駐車させていただこう。
 
【沖縄戦での戦闘】
嘉数住民の避難所だったという。しかし、嘉数の住民は日本軍に協力し共に戦い、250名余りが亡くなったという。
 
【感想】
住宅街の中に、史跡でもあり、戦跡でもある大きなガマがあることに驚く。このガマは比較的安全に中に入ることができ、沖縄戦時の物品も多く残されているので、沖縄戦時の住民の生活を知るうえで貴重なガマだろう。
 
 
入口には次のような案内板があった。
 
市指定史跡 チヂフチャー洞穴遺跡
 
 本遺跡付近は標高50mの琉球石灰岩の台地状をなし前面の崖下には牧港川が流れ対岸の台地にはグスク時代の遺跡、真久原遺跡がある。
 人間は、古来から洞穴を住居、貯蔵庫、または信仰の対象として、さらには戦争の時には自らの生命を守る防空壕としても利用してきた。本遺跡も又、古代人の住居として利用されたらしく、今からおよそ1500〜800年前の沖縄貝塚時代後期〜グスク時代の土器や貝殻等の食糧残滓が洞穴の入口付近で見つかっている。
 又、洞穴一帯には風葬墓があり沖縄焼の壺等がみられる。
さらに去る大戦中には避難壕として利用され、入口付近に戦時品が多数ちらばっている。
 本遺跡は、石灰岩特有のドリーネ地形で形成され窪地になっている。
 尚、本洞穴は幅4〜11m、高さ1.5〜4.5m、全長およそ110mである。洞穴の中にはストロー、つづら石、石筍、石柱、中空鍾乳石、洞穴サンゴ、ヘリタイト、フトーストーン等があり、鍾乳洞の発達した洞穴である。
 
昭和61年3月31日
浦添市教育委員会
 
 
 
住宅のとなりにガマの入口がある。
 
 
 
 
ガマは樹林の下にある
 
 
 
ガマの入口はとても広い
 
 
 
ガマの内部
 
 
 
大きな鍾乳石がある
 
 
 
沖縄戦時に使われ食器が散らばっている。
 
 
 
 
骨壺と思しき焼き物があり、骨が散らばっている。
 
 
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