八九式十五糎加農砲(カノン砲) 南城市大里
 
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【場所】
沖縄県南城市大里仲間928に位置する、南城市立図書館大里分館(大里農村環境改善センター)敷地内。
 
【駐車場】
敷地内に広い駐車場がある。
 
【沖縄戦での戦闘】
第32軍第5砲兵隊の独立重砲兵第百大隊の所属品だったという。第百大隊は八九式十五糎加農砲を8門所有しており、西原町棚原、浦添市西原、南城市大里、八重瀬岳、糸満市真壁に設置していた。平成15年3月、南城市大里の平川壕の発掘が行われた際に掘り出され、復元された後、同年8月より展示されている。平川壕にはカノン砲が2門設置されていたが米軍の攻撃により壕とともに埋まり、一門は掘り起こし移動させたがこの砲は放棄され、長い間地中に眠っていた。
 
【感想】
実物は写真で見る以上に迫力がある。これだけ綺麗な状態で残っていたことに驚く。図書館入口に砲身が向かっているが、南城市では図書館に展示することに反対運動はなかったのだろうか。同時期に、榴弾砲を図書館に展示した西原町では、反対運動で、目立たない場所への移転を余儀なくされた。
 
 
近づくとその大きさに驚く。これほど大きなものを運ぶのは非常に大変だったろう。
 
 
 
砲身だけで3,390kg、車体を含めた全重量は、10,422kgと非常に重い。
 
 
 
砲身長は596.3cmと長い。
 
 
 
部品の一部が消失しているが、非常にきれいな状態で残っている。
 
 
 
これだけの杭を打ち込まないと、反動で後ろに下がってしまうのだろう。
 
 
 
九四式37ミリ砲(速射砲)がかたわらに置かれていた。野戦対戦車砲として設計されており、約700m/秒の高初速を以て距離1,000mで20mmの装甲を貫徹し車内に破片効力を及ぼすことが可能という。
 
 
 
砲身を運ぶ荷車と思われる。
 
 
 
 
以下のように書かれている。『昭和4年に旧日本軍によって、制式化された大砲で開脚式装輪砲架を持ち、遠距離でも命中精度にすぐれていた。砲身車と砲架車をそれぞれ牽引車で牽引して移動し、陣地で組み立てて使用したが、準備に1時間程かかったそうである。大里村内には、1945年3月に旧日本軍陸軍独立重砲兵第百大隊が布陣した際に、二門が配置された。しかし、沖縄戦においては、米軍とのあまりに大きな物量の差により、その効果は乏しく、一発撃つと何十、何百という反撃をうけたといわれている。
平成15年12月 大里村教育委員会』
 
 
 
図書館入口に方向に砲身が向かっている。 
 
 
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