前田高地(浦添城)の戦跡 浦添市前田
 
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【場所】
県道153号線をパイプラインから安波茶方面に坂を登って行く途中に、浦添ようどれの看板があるので、それに従い左折し、行き止まりが浦添グスクである。
 
【駐車場】
浦添ようどれ館と浦添グスク入口に駐車場あり。
 
【沖縄戦での戦闘】
嘉数での戦闘(1945年4月7日〜24日)の後、1945年4月26日から5月6日にかけて激戦が繰り広げられた。第62師団第11、12、14大隊、第24師団歩兵32連隊の計7000名あまりで、戦車で攻撃する米軍に対し、凄惨な戦いが行われた。
 
【感想】
沖縄有数の戦跡であるが、案内板などはほぼ皆無である。浦添市や那覇市は、西原町や南風原町と異なり、戦跡の整備はしない方針なのだろう。前田高地は長さ3qに及ぶ丘陵で、浦添大公園として整備されているので、展望を楽しみながら散策することができる。そののんびりした公園の中に、多くの壕など戦跡が点在しているというギャップがある。
 
 
浦添ようどれ・・・かつて浦添ようどれに向かう途中には、暗しん御門という崖の下を通るトンネルのような道があったが、沖縄戦のときに上部の岩が崩れ落ち、現在のような形(下の写真)になったという。沖縄戦では石垣もろとも原型もないほど破壊尽くされたが、現在は見事に復元されている。
 
 
 
浦添城陣地壕・・・浦添城の入口にある旧日本軍陣地壕。フェンスに覆われ、案内板はない。
 
 
 
浦添城内にある、私設の慰霊碑。
 
 
 
 
 
 
ディークガマ・・・浦添城址の中にある御嶽。戦時中は住民の避難壕として使われた。中に入ることはできないが中を覗くことができる。 かつてはここに浦添で亡くなった5000人もの遺骨が納められていた。現在は平和祈念公園に合祀されているそうである。
 
 
 
ガマの中には拝所がある。
 
 
 
クチグワーガマ(クチグヮーガマ)・・・浦添グスク内から南へ仲間方面に下ると、馬ヌイ石があり、舗装道に出る。その舗装道を50mほど進むと、右側にクチグワーガマがある。ただし下の写真のように案内板は一切ないのでわかりづらい。クチグワーガマとは、人が口を開けたような形をしているからという。
戦時中は仲間集落の避難壕で、米軍の馬乗り攻撃を受けた時は壕内に住民100名、軍人50名ほどがいたが、攻撃され落盤が起きて多くは生き埋めになったという。30名ほどは脱出できたが、今でもこの壕の中に多くの遺骨が残っていると思うと合唱せずにはいられない。
 
 
 
前田高地慰霊碑と為朝岩へ行くには、浦添グスク最奥のロープが張られた向こうの道へ向かう。
 
 
 
為朝岩・・・稜線上の道を歩いていくと、為朝岩を望む絶壁に出る。為朝が岩の上から海に向かって弓を放つと、海まで飛んで行ったという伝説らしい伝説が残る岩にして浦添市最高峰である。米軍は為朝岩(ニードルロック=針の岩)の上にまで攻め上ってきたという。この岩の上に登っても標的にされるだけだと思うが・・・。為朝岩の後ろに見える丘が、魔の丘と呼ばれ米軍の戦車との戦争が行われた激戦地である。
 
 
 
前田高地平和之碑・・・浦添城と為朝岩を結ぶ稜線上の道の途中に左側に下る道がある。それを下ると前田高地平和之碑前にでる。前田霊園内の道をひたすら上り詰めてもこの平和之碑の前に出る。この慰霊碑は、前田高地で戦闘を行った全部隊の慰霊碑でなく、その一部第32連隊第2大隊(志村大隊)の慰霊碑である。志村大隊には北海道出身者が多かったため、北海道知事が文字を書いたらしい。亡くなった900名もの方の名が刻まれている。前田高地で唯一、激しい戦闘が行われたことが記されている碑である。
 
 
 
 
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