小波津家の弾痕跡 西原町小波津
 
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【場所】
西原町の県道34号と県道155号が交わる呉屋交差点から、県道155号を首里方面に350mほど行くと小波津商店があり、そこを左折し80mほど行くと右側に小波津家がある。
 
【駐車場】
駐車場はない。 
 
【沖縄戦での戦闘】
看板には次のように書かれている。 
 
この石塀は、1935年(昭和10年)に小波津家の新築に伴い、具志頭村(現在の八重瀬町)で切り出した港川石(砂岩)を馬車で運ばせ建造されました。石は厚さ20p、縦30p、幅150〜250pの大きさで7段も積まれましたが、現在は敷地の盛土等により2段は埋まっています。
 
沖縄戦が始まると、小波津家は日本軍の宿舎となり、中城湾の米艦隊から激しい砲弾を浴びました。西原村(現在の西原町)では熾烈な攻防が繰り広げられ、住民の約47%が戦死しました。
 
戦後は遺骨、砲弾の破片、不発弾、米軍のキャンプ跡のガスコンロなどが散乱し、家は跡形もなく、砲弾が撃ち込まれた石塀だけが残っていました。壁に食い込んだ砲弾の破片は、やがて到来したスクラップブームで売りつくされましたが、砲弾の跡は今も生々しく残っており、沖縄戦の悲惨さを無言で語っています。 
 
【感想】
西原町や中城村は古い民家が多く、弾痕跡のある石塀も多いが、この小波津家はその中でも、最も多く弾痕跡が残っている。これだけ砲弾を受けた塀を未だに残していることはすごいことであると思う。一見の価値がある。
 
 
住宅街に小波津家があり、弾痕の来歴を示す看板がある。
 
 
 
 
海に向いた方の塀には、かなり大きな弾痕跡が多数残っている。米艦隊から多数の砲弾が飛んできたらしい。
 
 
 
道路に面した塀にも弾痕跡があるが、こちらは跡が少ない。
 
 
 
塀の前に説明版が立っている。
 
 
 
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